病院を辞めて分かった。「きつい」は仕事量だけでは決まらない

50代看護師の働き方
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病院で働いていた頃、私はよく、

「仕事がきつい」
と思っていました。

人が少ない。
受け持ちは多い。
時間に追われる。
定時ではなかなか帰れない。

もちろん、それだけでも十分しんどいです。

でも、病院を辞めて特養で働くようになってから振り返ると、
私が「きつい」と感じていたのは、仕事量だけではなかったんだな
と思うようになりました。

一つ一つは、
「まあ、仕事だから仕方ないか」
で済ませられるようなこと。

でも、それがいくつも重なると、全部まとめて

「この職場、きつい」
になる。

転職先を考えるときも、「楽そうな職場」を探すより、自分にとっての“地味に嫌”が何なのかを知る方が大事なのかもしれません。

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そもそも、人が足りないところから始まっていた

私がいた病棟では、人手不足が続いていました。

感覚としては、
もっと人数が必要な仕事を、少ない人数で何とか回している
という状態です。

でも、人が少なくなったからといって、患者さんのケアや処置、記録、急変対応、家族対応が減るわけではありません。

求められる仕事の量や質は、そのまま。
そこへさらに、新人指導や委員会などが上乗せされます。

一つ一つはできる仕事でも、
「できる」と「無理なく続けられる」は別なんですよね。

経験者が減るのに、教える仕事は増える

負荷が大きい状態が続くなか、私がいた病棟では中堅の看護師が少しずつ辞めていきました。

すると残るのは、新人と年配の看護師。

新人さんには、まだ任せにくい仕事や判断があります。
その分は、経験のある側に回ってきます。

さらに新年度になると、新しく入った看護師の指導も始まります。

少し前には経験者が退職しているのに、
抜けた人の穴を埋めながら、新しく入った人を教える。

新人さんが悪いわけではありません。
でも、教えながら働けば自分の仕事のペースは落ちます。

こういう負荷って、人数だけでは見えにくいんですよね。

委員会も「地味に嫌」の一つだった

病院では、毎年のように何かの委員会を担当していました。

年によっては複数掛け持ち。

通常業務だけでも忙しいのに、会議や資料作成が増える。

任せる側からすると、
「この役割を一つお願いした」
くらいなのかもしれません。

でも受ける側では、今ある仕事の上にそのまま乗ります。

それなのに、
「なんでそんなに大変なの?」
というような反応をされると、
負担そのものより、「分かってもらえていない感じ」がしんどい。

これも地味に効いていました。

私は「時間を強制的に使われる」のが苦手だった

振り返ると、私は仕事量そのものより、
自分で組み立てた時間を何度も崩されること
がかなり苦手だったんだと思います。

「次はこれをして、そのあと記録して」
と優先順位を考えて動いていても、途中で何度も呼ばれる。

もちろん、必要な援助なら対応します。

でも、急を要さないことでも何度も仕事を中断されると、自分の仕事は後ろへずれていきます。
最後に記録が残る。

また定時で帰れない。

私にとっては、この
自分の時間を自分でコントロールできない感じ
がかなり大きな「きつさ」でした。

人間関係のしんどさも、仕事量とは別にある

病院時代は、みんな忙しくて疲れていました。

余裕がないと、ちょっとしたことでもピリッとしやすくなります。

私は、仕事内容そのものより、
職場全体に余裕がない空気
に疲れていた部分もありました。

また、人間関係で何かあったとき、原因を整理せずに
「お互い様で」
と終わらせられることにもモヤモヤしました。

仕事そのものより、公平に扱ってもらえなかったと感じることの方が、あとまで残ることもあります。

今の特養では、病院ほど時間に追われません。
人間関係も、私はそこまでしんどいとは感じていません。
ただ、余裕がある職場には余裕がある職場なりの面倒さもあります(笑)。

人のやり方が目についたり、細かく確認されたり、
「勝手にしたと言われないように、一応聞いてからにしよう」
という空気が出ることもあります。

忙しすぎてピリピリするのとは、また違う種類の疲れです。

休みの自由度も「きつさ」に入る

仕事中だけではありません。

連休が取りづらいと、
「旅行に行きたいな」
と思っても、なかなか行けません。

たまに休みが合っても、世の中が休みの時期は高い。

平日の値段でも、結局そんなに行かないんですけどね(笑)。

それでも、
行きたい時に動けない
という不自由さは、地味にストレスでした。

働きやすさって、勤務中に楽かどうかだけではなく、休みの日に自分の生活をどれくらい取り戻せるかも大きいと思います。

「きつい」は、小さな嫌が積み重なった言葉なのかもしれない

こうして振り返ると、私が病院勤務を「きつい」と感じていた理由は一つではありませんでした。

人が足りない。
時間に追われる。
仕事を中断される。
委員会や新人指導が上乗せされる。
負担を理解してもらえない。
職場全体に余裕がない。
人間関係でモヤモヤする。
連休が取りづらい。

一つ一つだけなら、

「まあ、そんなこともある」
で済ませられることです。

でも、地味に嫌なことが何個も重なると、それが「きつい」に変わる。

私はそうだったんだと思います。

特養に転職して、「何が減ったか」を考えてみた

私は今の特養を、そこまできついとは感じていません。

もちろん、特養にも大変なことはあります。

オンコールがあります。
看護師が少ない分、自分で考える場面もあります。
職種間の距離が近いからこその面倒さもあります。

だから、

「特養は楽です」
と言いたいわけではありません。

ただ、私の場合は、病院でしんどかったものがかなり減りました。

時間に追われにくくなった。
基本的に定時で帰れる。
身体的な負担も減った。
職場全体の「みんな余裕がない」という感じも少なくなった。

だから、私は楽になったと感じています。

転職するときは「楽そう」より「何が減るか」

「きつい職場から転職したい」
と思ったとき、

つい、

「次は楽な職場がいい」
と考えます。

でも、「楽」も「きつい」も、かなりざっくりした言葉です。

人生のかなり長い時間を働く場所で過ごすのに、それだけでは少し基準が粗すぎる気がします。

自分は何に一番消耗するのか。
何なら我慢できるのか。
逆に、何が続くとかなり嫌なのか。

そこを細かく分けてみる。

私の場合は、病院から特養へ転職したことで、
仕事量そのものより、時間に追われ続けることや、負荷が際限なく上乗せされることが嫌だった
と分かりました。

病院が合わなくなったからといって、看護師そのものが合わないとは限りません。

働く場所を変えるだけで、「きつい」の中身がずいぶん減ることもあります。

転職先を探すときは、
「楽そうか」ではなく、自分の“地味に嫌”がどれくらい減るか。

そんな見方をしてみてもいいのかな、と思っています。

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